| 「社会と不登校児童をつなぐもの」 匿名希望 (不登校児童を持つ親) |
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| 私には小学校2年の不登校状態の娘がおります。全く学校に行っていないというのではなく、保健室や校長室などの特別室への登校は可能という状態です。全く学校に行けない子供をもつ親御さんからは、校舎の中に入れるだけでもうらやましがられるのですが、自分の教室に入れない以上は不登校と言わざるをえません。 この不登校の娘を連れ、私の趣味を紹介するような形態でだがしや楽校への出店をしてみました。あいにく当日は雨。天候や宣伝方法で賑わい度が左右されるシビアな面がありましたが、これに参加する事によって教室以外の場所で、しかも屋外で何かを学ぶことができるという事を知りました。さらに資格や免状も不要、誰もが先生になれるということも知りました。これは不登校という問題を抱える子供やその親にとって希望の鍵になるかもしれないと肌で感じました(不登校を克服するという意味ではありません)。不登校という現実を覚悟するとき、親としては学校ではなくとも、社会に通じる道を見つけてあげなければならないと迷います。その1つの細い道がうっすらではありますが見えた気がしたのです。 自分の子供が不登校という状態になったとき、もしかしたらこの子は一生社会から取り残されるのではないかという恐怖心が襲ってきます。学校へ行かせる方法を模索するのと同時に、この子が社会の一員であるという証拠を探さなければと迷うのです。 少子化が社会問題になっているからこそ、少数派であった不登校・引きこもりという問題が大きく取り上げられるようになったように思います。これらの子供達を受け入れる場所を作らなければならないという活動でもある「フリースクール」という施設が全国的に増えています。その多くは教育関連のNPOなどが多いようですが、それがビジネスとして成り立つ兆しもあるようです。 インターネットなどで、いろいろと調べていくうちに、フリースクールというもののイメージが、(親の仕事などによる都合で)手に負えない子供を預ける保育園という感じがしてならないのです。放課後に子供を預ける学童保育が学校の延長線ならば、フリースクールは自宅の延長でしかないように思えたのです。そもそもフリースクールは不登校を治す病院ではなく、居場所を失いかけた子供に場所を与えるのが目的ですから、過剰な期待を込めてはいけないのですが、当事者である私は藁をも掴む思いですから“治療”という意味で模索し、利用を考えていました。 フリースクールに集まる子供達は、不登校をはじめ、何らかの問題を抱えています。その中の子供達同士の中に「同調」が生まれます。自分だけじゃない安心感。それを良いと取るか悪いと取るかは人それぞれですが、社会へ通じる道からは少し遠ざかってしまうような気がしてならないのです。 問題を抱える子供達だけが集まるのがフリースクールならば、分け隔てすることなく子供達が集まる場所を作ってあげなければと思うのです。広場で楽しく過ごしたり、野外活動的な探検であったり。それがつまり“だがしや楽校”という形なのです。 子供達を年齢や学級・住んでいる地区という枠の中から解き放し、子供たちが作る小さな社会の中で、弱者を思いやるやさしさ、先輩を敬う気持ちが生まれてくれればと思います。そういう場所を大人が作ってあげなければならないと思うのです。 私にとって不登校に対する、だがしや楽校の効能・効果はまだ何も出ていません。 子供が子供でなくなる前に、大人が解決してあげなければと、一歩前進したばかりです。 |
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だがしや楽校 On The Web
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