松田 道雄 (中学校社会科教諭)

(3)はじめやではじめた

なぜ、駄菓子屋の前なのですか?

 こうして、学校ではなく、どこかの駄菓子屋の前の空間で、駄菓子屋的な学びの集いをひらこうという着想が「だがしや楽校」という名前で固まってきました。
 「楽校」という名前は、楽しい学校という意味と、楽市楽座のように学校的なものを自由にするという意味を込めています。具体的には、学校週休日の土曜日に、縁日のお祭り風にめいめいが物売り屋台のスタイルで「遊びと学びの屋台」を出すというイメージを描きました。
 のちにも、「駄菓子屋の前でないとだめなのですか?」と尋ねられました。
 公園でも学校でも商店街でも、どこででもできる手軽な集いとして考えたのですが、 はじめに、駄菓子屋の前を選んだのは、まず、なくなりつつある駄菓子屋の教育的価値を多くの方に気づいてもらおうという意図がありました。それとともに、実際に、もともと子どもたちが集まるところに大人が歩み寄ってひらくのが、一番無理がないと気づいたからです。
 駄菓子屋の前でひらけば、そこに子どもたちはいるし、お知らせのチラシもそこに置いて子どもたちに知らせることができるし、遊び道具もあるし、何より飲食の自由があるからです。
 多様な生き物が生息するビオトープには、生き物たちが自由に「飲食」することができる「池」が必要なように、子どもたちが「生息」する環境には、自分たちで小銭で自由に飲食できる「子どもみせ」が必要です。遊びまわってお腹がすけば駄菓子や飲物を買って食べ合って、一息ついて団欒する場です。
 人が集うところには、このような場は欠かせないものですが、学校や公民館にはありません。これまでの男性社会では、その重要性はあまり意識されなかったのかもしれません。それは、女子高生がお菓子を食べ合ったり、女子社員がお茶を出してくれたり、お母さんが台所で食事をつくったり、おばあちゃんが漬物をお裾分けしたりといった女性原理にもとづく行為であり、もっと言えば、くちばしで親鳥がひなにえさを与えるような、より生命的な心性からなされているのかもしれません。
 この視点から見れば、地域の公民館や学校や公園には地域のおばあさんが居てくれる駄菓子屋があっていいし、駄菓子屋がなければママさんサークルが手作りお菓子と飲物の「駄菓子屋台」が出てもいいと思うのです。
 何もないところに子どもたちを集めようとするのではなく、もともと子どもたちが集まって遊んでいるところで行えば、子どもを集める労力もいりませんし、屋台があまり出なくても、自分たちで好きに遊んでいることでしょう。
 一銭や一〇円で子どもが自由に遊ぶことができたオープンスペースの託児所だった 駄菓子屋は過去のなつかしの店ではなく、子どもの集いをひらく際の未来のキーステーションにもなると思ったのです。

あなたの教育力を試してみませんか?

 山形市内の駄菓子屋調査をしながら、「だがしや楽校」をひらく場所として、どこの駄菓子屋の前がふさわしいかも探りました。その結果、いくつかの候補店の中から、山形市内南部の「はじめや」という駄菓子屋の前の公園に決めました。
 理由は、その駄菓子屋は山形市内でも多くの子どもたちに知られている店の一つであること。店主は、おばあさんというにはまだ若いバリバリの名物おばちゃんで、地域の小学校にもつながりを持ち、この実験的試みにも協力してもらえそうだと思ったこと。駄菓子屋の目の前には「屋台」をひらくにちょうどいい空間(公園)が広がっていること。そして、フットオンの論理で言えば、当事者の私の家から歩いていける場所にあるという理由からでした。
 「はじめや」の店主、山川昭子おばちゃんは、陽気で明るく気さくな人柄で、小さな子どもから高校生以上の若者まで幅広く信望があり、このおばちゃんのキャラクターが店を成立させているといってもいいくらいです。この店に子どもの頃に通い、親になって自分の子どもを連れてくるリピーターもたくさんいます。
 山川さんからは、店に来る子どもたちの様子やエピソードなどもたくさんうかがい、駄菓子屋研究でも大いに参考になりました。この店に来る子どもたちからも聞き取りをし、かつ土曜日・日曜日の子ども客数調査などもしました。「だがしや楽校」の試みも打診をしてみたところ、即座に賛同いただいたのです。
 土曜日と日曜日では、土曜日のほうが子どもたちが駄菓子屋に来ることもわかりました。まだ、親は土曜日が休みになっていない家庭が多いので、子どもたちは自分で過ごさなければならないので駄菓子屋に来るようでした。一方、日曜日は家族で買い物やお出かけというように、二つの休日は異なる過ごし方になっているようだったのです。土曜日に駄菓子屋を拠点に子どもの集い。これは、まさにかつての駄菓子屋の役割を現代に再生する試みになると思いました。
 土曜日にひらくことを決め、次に時間です。「午前中は、子どもたちもゆっくり寝ているんじゃないかねえ。子どもたちが来るのは午後からが多いね」という山川さんの話で午後に決めました。屋台を出す人も昼食をとってから準備して集まることができるように、午後二時からとして。四時までの二時間としました。
 しかし、この時間帯も、みなが必ずこの時間に来なくてはならないというのではなく、あくまで目安で、かつての駄菓子屋周辺での群れ遊びのように、各人三々五々にどうぞ、ということにしました。何となくいろいろな人が集まり、それぞれが出会い交流しながら楽しみ、いつのまにか帰るという自然な集いを理想像として思い描いたのです。
 日時が決まると、屋台を出す人を募り、かんたんな手書きのチラシを作って「はじめや」に持っていき、おばちゃんが店に来る子どもたちや近くの学校に渡すという手はずにしました。
 さて、屋台を出してくれる人集めです。真っ先に電話をしたのは、これまでの壁画制作や野生芸術学校などのコラボレーター(共同制作者)である中学校美術教師の牧野呂蘭君です。牧野君には、テレビでみた大道芸人のような科学実験教師、米村伝次郎先生のように、学校での学びを自由な社会の場でひろうする「大道教師」をしてみないかと誘ったのです。そして、米村先生のような中学校理科の先生にも声をかけました。
 はじめに期待した屋台出店者は、牧野君のように学校外教育の必要性を感じてくれる学校教師や大学生(特に教育専攻)です。そこで、出店者を募るために作った最初の手書きチラシのキャッチコピーは、
「あなたの教育力を試してみませんか?」
でした。これは「だがしや楽校」の意義の一つにもなっています。
 学校の教壇に誰もが立つことはできませんが、ここでなら、近所のおじいさんもおばさんも、学校では教わる立場の子どもでさえも、教える体験をすることができるのです。しかも、学校教師も学校では鍛えられない技を磨くことができるのです。
 手書きチラシを作った私は、知り合いの中学校の先生に声をかけたり、大学教育学部の先生にお願いして講義でチラシを配っていただいたり、大学のサークルのメールボックスにチラシを入れたり、サークルの代表に「電話セールス」をしたり、留学生会館を訪ねたりと、まるで、宅配ピザ屋のチラシ配布や銀行の預金勧誘のような営業活動をしたのです。社会教育の活動の最初の重要な仕事は「学びのセールスマン」になることだということを、ここで肌で感じたのでした。
 人を集める集いのチラシのキャッチコピーは、「だがしや楽校」の前身であった公民館での創造的な集い「セレンキッズ・プロジェクト」でもつくりました。
「参加しませんか?
 サークルより、益がある!
 バイトより、夢がある!
 学校より、自由で!
 塾より、体験的!
 会社より、創造的!」
というコピーです。これは、高校生、大学生、社会人の若者などを募ることを考えた文句です。
 一方、「だがしや楽校」のコピー第二弾は、
「あなたの発想とわざを、子ども世界の中で試してみませんか?」
です。
 これら三つのコピーを合わせれば、「だがしや楽校」を始めた最初の気持ちを理解していただけるでしょう。
 こうして、「大人の教育力」を募った屋台のメドがいくつかたつと、
「だがし屋さんの前に、楽しい〈遊びと学びの屋台〉がならぶよ!」
という子ども向けのコピーのチラシを「はじめや」に持っていきました。この時、駄菓子屋という「子どもみせ」が、子どもの催し物の情報拠点になったのです。チラシは、公民館や図書館などの社会教育機関にも置きましたが、駄菓子屋が一番効果がありました。子どものことは「子どもみせ」に、です。
 駄菓子屋を、単に駄菓子や駄玩具を買うだけの店からコペルニクス的転回して、子どもの活動のキーステーションにすることができるのではないかという構想の一歩を踏み出したのです。
 子どもの前では、みんなが平等になれます。学校のような大人が内容も決めている場所に子どもを来させるのではなく、子どもが集う場所に大人がおりてきて、大人が膝を曲げて子どもの目線でいっしょに楽しもうと始めたこの集いは、子どもの居場所づくりはみんなの居場所づくりになることを教えてくれたのです。

小さな集いの大きさ

 どんなことも、はじめは小さな試みから始まります。戦後、わが国にも新教育運動をおこしたアメリカのジョン・デューイの「実験室学校」(Laboratory School)も、始まりは個人の家を借りて十六人の生徒と二人の教師の「やどかり学校」からでした。これが大学の附属学校の開祖となるシカゴ大学附属小学校だったのです。
 「だがしや楽校」も一軒の駄菓子屋の前から始まり、のちに全国でさまざまな形でひらかれるようになっていますが、はじめた当初は、屋台を出しにきたのが二人に対して、参加する子どもたちはゼロという時もありました(初冬の寒い日でした)。でも、この集いのよさは、かつての駄菓子屋の前での外遊びのように、そこにきた子どもたちと遊ぶという気軽さを前提にしていますので、だれも来なかったら来ないで文句なしです。義務も契約もない、自発的な集いなのですから。
 屋台を出すのは、子どものためとか地域のためというより、自分を披露する楽しみと考えれば、肩肘張らない集いになるでしょう。そのように考えると、「だがしや楽校」の「屋台」は、最も小さなベンチャー・ショップ、自分をみせる「自分みせ」なのです、と高校生や大学生には説きました。
 特に地方に生きる若者にとっては、この気持ちと試みが必要だと思っています。なぜなら、人口の少ない地方には若者の多様な関心を充足させる仕事は極めて少ないからです。となれば、自分から自分の関心事や技量をみせて自分の道を開拓するような
トレーニングは不可欠です。
 ボランティア(自発)とベンチャー(企て)の両者の心の根は一つであると私は思っています。「自分から何かしてみる」という心です。これをボランティア+ベンチャー=ボランチャーということばを作って表現してみると、「だがしや楽校」の屋台は、自分をみせるボランチャー活動と言うことができるでしょう。
 細々とながら週休の土曜日に「だがしや楽校」を開いていくうちに、美術教師の工作屋台、理科教師の実験屋台、モンゴル人留学生による遊牧民の遊びの屋台、大学生サークルによる人形劇・紙芝居・マンドリン演奏の屋台、教え子の中学生たちの実験遊び屋台やフリーマーケット屋台、親子フリーマーケット屋台、近所のおじいさんのけん玉屋台などいろいろな屋台が増えてきました。そして、めずらしさもあって新聞やテレビでも紹介されるようになりました。
 「だがしや楽校」は青空楽校です。「雨が降ったり、寒くなったらどうするの?」ということもよく尋ねられました。当初の群れ遊びのイメージからすれば、当事者の判断で自然に中止したり途中解散すればいいと思い、チラシにも雨天中止と書いていましたが、雨でも予告したものが室内でもできればいいという要望があり、「だがしや楽校」の室内版も実験してみることにした。公民館や集会所の一部屋を借りて、教室的に開く楽校です。名づけて「てらこや楽校」。
 一部屋の中に各テーブルごとに屋台を設けて、黒板に屋台内容の案内掲示をして、子どもたちが自由に好きな屋台で遊んだり教わったりするという形式です。はじめは、「だがしや楽校」のように各テーブルごとに実費をとるのも自由にしていましたが、せまい部屋で、それぞれ屋台をひろうする人がお金の管理まで気にするのは手間がかかるので、部屋の入口のところで集いの受講料(五〇〇円)をいただき、それを各屋台出店者に分配するというようにしました。
 地区の小さな集会所では、その集会所の入口で受講料をいただき、建物の中から外の公園にまで屋台の活動が広がりました。室内で粘土をこねてオカリナの形を作り、外に設けたブロックを積んだ簡単な窯で素焼きをして、自分が作ったオカリナで音を出し合うなど、室内と外を自由に出入りした工作や実験や集団遊びなどのアトラクションの屋台がひらかれたのです。まるでそれは、一時、自分たちで楽しむ場をつくる「手作りテーマパーク」のような感じです。
 仲間の美術教師や理科教師や大学生がそのようなアトラクションをしてくれている間、私は参加者を誘導したり、記録をとったり、安全に目配りしたり、集まった受講料の一部で近所の店から駄菓子を買ってきて、室内に駄菓子コーナーを設けたりしました。この空間を一時「だがしや楽校」にしようと心がけたのです。
 この「てらこや楽校」では、公民館の場所を借りるところから、当日、私がしたような内容などを含めて、主催者という役割が明確に浮かび上がってきます。行政などだれかがしてくれることに参加するだけのことに慣れきってしまっている私たちにとって、小さな集いで主催者体験をしてみることは、主体的な社会の形成者としてだれもが社会づくりに参画することを学ぶ貴重な実習になると感じました。
 「てらこや楽校」のような教室型の集いでは、受講者(受益者)・屋台出店者(提供者)・主催者という立場が明確になるので、受益者が提供者と主催者に手間代として受講料を支払い、
 
ボランティアではなく、


数カ月間は、毎月第二土曜日を「てらこや楽校」、第四土曜日を「だがしや楽校」というように分けた比較実験もしてみました。
 こうして、「だがしや楽校」を継続して開いてみると、自然に、駄菓子屋という「子どもみせ」を中心とした「子どものためのまちづくりプラン」(チルドレンズ・コミュニティ)が頭の中に描かれてきました。ここで中心とする駄菓子屋とは、先に述べたコペルニクス的転回した「子どもみせ」です。その小さな店は、子どもたちの「社会学び」の情報を得ることができる「ミニインフォーメーションセンター」であり、また、「だがしや楽校」などでの作品や子どもたちの作品なども展示する「ミニチルドレンズ・ミュージアム」なのです。さらに、質問箱を置いて子どもの相談や疑問に大学生ボランティアなどが返信を書くという「ポスト・スクール」の実験も行なってみました。このような「子どもみせ」(チルドレンズ・ショップ)の意義が認められれば、個人であれ公設であれ、各町内に駄菓子屋を再生する必要性がおわかりでしょう。
 「だがしや楽校」が開かれると、ボランティアで屋台を出してくれる学生さんなどに、「はじめや」のおばちゃんがジュースなどの差し入れをしてくださる。別に取り決めをしたわけでもないが、「お互いさま」という人づきあいの範疇で、子どもたちが駄菓子を買う利益の一部を「だがしや楽校」の屋台に還元し、「はじめや」もまた、「だがしや楽校」の大きな屋台の一つになっているのです(図 参照)。
 こうして、ささやかに個人のボランタリーな「屋台」によって始められた「だがしや楽校」は、このプロジェクトの最大の理解者で共同参画者であり事務局を引き受けてくださった教育社会学者の片桐隆嗣先生によって、大学の授業としても「だがしや楽校」が行なわれるようになります。ここ山形市には、山形大学と東北芸術工科大学の二つの四年生大学があります。「だがしや楽校」の屋台出店者を募るには、さまざまな芸術デザイン制作をしている東北芸術工科大学の学生さんは適任だと思い、「ドーイング・ソシオロジー」というチュートリアル(教官が開くサークル)の学生さんたちも勧誘しました。その指導教官が片桐先生だったのです。
 では、ここまでぼくが思い描いた「だがしや楽校」を開く際のポイントをまとめみることにしましょう(図 )。

 「どうして、屋台のスタイルなの?」とも言われました。それに対しては、「だって、お祭りの屋台って、世の中で一番楽しく、一番簡単で、誰でも参加できるかたちでしょ?」と答えています。「屋台」は経済活動の原型であり、「市場」は世の中で最も活気のある場所なのです。それぞれ、テーブル一つといすを置いたりして、自分の趣味や特技などをおひろめしたり、教えたり、作ったり、遊んだり、売ったりと、何でもかんでも「屋台」にしてしまうのです。
 おばあさんが「編物の屋台」を開いたり、おじいさんが「竹とんぼ作りの屋台」を開いたり、お父さんが「魚の釣り方の屋台」を開いたり、お母さんが「あやとりの屋台」を開いたり、大学生が「科学実験の屋台」を開いたり、子どもたちが「鬼ごっこの屋台」を開いたり、フリーマーケットをしたりと、どんなことでも「屋台」になるのです。
 「屋台」でお金をとるのもとらないのも自由にしました。どうしてかと言えば、そこは実社会と同じく自由経済の場だからです(ここが学校での学びと決定的に違います)。どの屋台に行くかは、お客(子ども)しだい。おもしろくない屋台には人は来ないし、値段が高い屋台にも人は来ない。つまり、屋台を開く者にとっては、演出力やプレゼンテーション力の学習にもなるのです。教育学部の学生さんや学校の教師はもちろんのこと、今まで子育てに縁遠かったお父さんにとっても「生きた教育実習」になるのです。「地域の教育力」とよく言われるけれども、それはすなわち、「大人の教育力」というではないでしょうか?
「だがしや楽校」は、大人も子どもも週休二日社会の土曜日の二時間くらい、自分の子どもと近所の子どもたちの世話をしながら楽しみませんか、という提案なのです。


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