| 松田 道雄 (中学校社会科教諭) | |||||||||||
|
|
|||||||||||
| (2)着想パズル フレーム「フィールドワーク」 あることを着想するにいたるまでには、それなりに見えない長い道のりがあります。 しかも、それは、着想者のその時の状況における様々な要素が偶然に組み合わされた結晶です。 生命ですら研究室や工場で人工的に量産されようとしている現代、着想もそうなるかもしれませんが、少なくとも「だがしや楽校」という着想は、私のそれまでの試みの遍歴と状況から生まれた夢の種の一つです。それは、ちょうど個々の要素がパズルのピースのようになって、それらがぴったり組み合わされたのが「だがしや楽校」でした。 まず、パズルのフレーム(枠台)を確かめ、その後に個々のピースを語り、「だがしや楽校」の着想パズルをつくってみることにします。 私にとって、はじめに学校ありき、ではありません。学校教師をめざして教育学部に入ったのでもなく、何をしたいかもわからずに、とりあえずそういうことを考えることができるのではないかと思って地元の大学の人文学部に入ったのでした。 そんな雲をつかむような動機だったので、当然、大学の教養講義も熱心ではなく、天気のいい日は「こんな天気のいい日にもったいない」と、ふらふら街中や山村などを散策し、雨の日は「こんな雨の日に出かけることもない」と、家で本を読んだり新聞のスクラップをしたりしていました。 そんな学生が、定職に就く必要にせまられて中学校の教師になったのですから、はじめから関心が学校の教室と教科書の中だけでは収まらないのは当然のことでした。私が最初に赴任した町は、山形市の西隣り、ゆるやかな白鷹山稜のふもとの山辺町です。山間部に残る民話、平野部の地場産業のニット工場群、手織りじゅうたん工場、果樹畑、起業家精神のある住民、…。そこが私の活動のフィールドになりました。 社会科の教師として、郷土史文献を調べて、町の歴史や文化を紹介するふるさと通信をつくったり、学校から離れて、町の写真愛好会と郷土史研究会の方などと写真絵はがき集を企画したり、町内のお寺で文化を語る集いを開いたり、盆・正月に、美術教師や中学生・高校生たちと町の民話を壁画に描き、その図案を地場産業のニット(セーター)にするプロジェクトをおこしたり(ロレックス賞という国際賞に応募して佳作になりました)、駅に文庫を設けたり、…といったことなどを試み、それらを「山辺プロジェクト」と総称して、理想郷の心象マップを描いたのです(資料1)。 一歩、学校の外を出れば、そこは私たちが日々生きている実社会です。生きる力は、生きている場でこそ育まれます。生活力は生活の中で育まれます。社会力は社会の中で育まれます。学校の中で学ぶことができるのは学校的なところ(会社など)に限定されます。学校の外で活動をすることは、そのまま社会教育や市民活動の実践となり、地域づくりの一部になるのです。 まず、地域社会というフィールドこそがパズルの枠台であり、地域を駆け回るフィールドワーカーになることが企画づくりの始まりになることを、この最初の赴任地での試みから学びました。 駄菓子屋研究も、自分が生活している地域をフィールドワークして子どもの目線で見直した時に発見することができ、同時に、「だがしや楽校」をひらくにふさわしい「原っぱ」も見つけることができたのです。 ピース1「学校の授業」 私が学校の教師をしていていつも考えることは、「この授業を学校の外でしたら、どうなるだろうか?」ということです。このことは、学校の中と外の違いを考えることであり、学校の限界と学校の外の可能性を探ることになると思います。 地域の固有性を求めた「地域の教育力づくり」を離れて、学校教育と学校外の社会教育という普遍的なことに関心を移したきっかけは、地域の公立学校(山辺町立山辺中学校)から大学の附属中学校(山形大学教育学部附属中学校)に転勤したことです。この母校での授業研究が、「学校の授業」そのものを深く考えさせてくれたのです。 学校では、教える内容と一年間の計画があらかじめ決められて(プログラムされて)います。 学習内容は、学習指導要領にもとづいた教科書の中にあり、ある日ある時間の授業は、一年間の計画の中の一時間です。そして、それを施行する実権は教師に握られています。のみならず、学校生活はさまざまな校則と教師による生徒指導によって管理されています。それらの基本原理は、多数の人間(生徒)を少数の人間(教師)によって、安全に均質に管理することです。 「本時の授業」には「ねらい(目標)」があり、学習活動のあとには生徒自身と教師による「評価」があります。それらはテストという「評価」にまとめられて通知票に記入され、最終的には受験に集約されていきます。 もし、ある理科の授業で行った実験がとてもおもしろかったら? いくらおもしろくても、五〇分の授業の中で実験に興じることができるのは、せいぜいニ〇分くらいで、あとはバタバタと教師がひいたレールの上を乗せられてまとめをして終わり、次の時間は別の教科の授業になります。 これがもし、休日の外での自由な遊びの中でだったら? きっと、何度も試行錯誤をしながら、時がたつのも忘れて没頭したことでしょう。そこには、教科書もプログラムも教師もなく、自由な遊びとして興味関心のおもむくままに自分の判断で行うことができるのです。 では、学校の教師が学校の外で自由に実験を教えたら? この具体的なモデルになったのが、テレビで見た米村伝次郎先生でした。高校で理科の先生をしていた伝次郎先生が、学校外でも子どもたちにおもしろい実験をして科学の楽しさを伝えている姿を見て、駄菓子屋があった時代に校門前や神社などに出没した怪しげな物売りをする「不思議なオジさん」の姿が重なったのです。 その番組では、伝次郎先生はその後、学校の先生をやめて科学プロデューサーとして国立科学館に勤めて、そこで様々な実験教室を開いているところが紹介されていました。さっそく私も幼稚園児だった娘を連れて科学館に行ってみました。 「伝次郎先生のような先生が、家の近所にもいたらなあ…。」 「東京の科学館が、近くにもあったらなあ…。」 と嘆息した時、自分で手作りでつくればいいのだ、とひらめいたのです。学校教師の校外活動。自分たちの町の伝次郎先生探しを始めました。 ピース2「チルドレンズ・ミュージアム」 もともと、学生時代は美学を専攻してきた私にとって、最も関心のあった場所は美術館や博物館でした。各地の美術館や博物館を調べながら、ただ展示されているのを見るだけの箱物に満足できなかった時に、「ハンズオン」(手でさわってみて)という体験的な展示を主体とした欧米のチルドレンズ・ミュージアム(子ども博物館)を知ったのは目からウロコでした。 チルドレンズ・ミュージアムの主題は、できるだけ五感をフルに活用してもらって子どもたちの知的好奇心を喚起することです。どんどんさわってもらうために、壊れてもいい偽物を使い、さまざまな擬似体験をしくむディスプレイの工夫がチルドレンズ・ミュージアムの命です。 しかも、チルドレンズ・ミュージアムにはリサイクル・コーナーがあるそうです。ボストンでは、ミュージアムのリサイクル・カーが街中をまわって使えそうなゴミを集め、それをミュージアムのコーナーに分別陳列して、子どもたちは小銭を払ってそれらを自由に使って工作をしたり遊んだりしているというのです。同じく子どもを育てる場である学校に最も足りないことは、このような体験的な展示の工夫やモノを使う場の工夫です。 安価でお粗末ですが、ワクワクするような駄菓子や駄玩具がところ狭しと並んでいる小さな「子どもみせ」(チルドレンズ・ショップ)である駄菓子屋を発見した時、私はまっ先にチルドレンズ・ミュージアムの面影を重ねたのです。 ピース3「創造する集い」 学校ではできないことで最も必要だと私が考えているのが、「自分は何ができるか?」から考える創造性を育む集いです。学校ではすべてあらかじめプログラムされているので、学校外で個人の自由意思で創造的なことを試みることができる集いが必要だと以前から考えていました。その始源のモデルは、かつての子どもたちの秘密の基地つくりのような外遊びであったかもしれません。 私が最初に開いた創造的な集いの場所は山辺町の安国寺というお寺でした。足利尊氏が建てたと言われているその名刹は、開明的なご住職が境内で野外劇やコンサートなどをしている寺でした。寺はかつて文化の発信基地であったと語るご住職のご好意で、学校教師になった学生時代の美術仲間などが夜に集まり、お互いの文化論を語り合い、「何か」をしようと考えたのです。 歴史的に言えば、かつて文化人や科学者などが集ったサロン、私塾、または宮沢賢治の「羅須地人協会」のような集いを思い描きました。そして、やがて、そこには大学の先生や地元の商工会の方から中学生までが混ざるようになりました。その様相は、地域のインキュベーション(孵化器)、創造する寺子屋という感じでもありました。 この寺での集いをもとに、町の民話を題材にして地場産業のニット工場などの壁面に壁画を描き、その図案をニット製品にして産地ブランドをおこしていくという市民参加型ボランティア・プロジェクトも起こしていったのです。活動する集団名は、「総合生活環境芸術創造集団」。地元の様々な団体と共同して、ふるさと写真はがき集づくりや、ふるさとの歴史を描いた地酒のパッケージデザインなども手がけました。私がプロデュースをして、仲間の中学校美術教師の牧野呂蘭君が描くという共同作業でした。 私が転勤してその町から離れた後、私は創造する集いの場所をどこにでもある公民館に求めました。週休の土曜日、公民館で中学生から大学生などを対象にした「創造的な教室」をひらいてみたのです。はじめの名称は「野生芸術学校」。メキシコ壁画運動をおこした画家たちがひらいた「野外芸術学校」と、文化人類学者クロード・レヴィ=ストロースが示した、ありあわせのものでつくるという未開民族の思考「野生の思考」を試みるという意味で名づけました。 しばらくして、「セレンディピティ」という英語を知りました。偶然に発見する能力という意味で科学的な発見をする際のキーワードのように言われていたのです。この英語はイギリスの作家の造語で、「セレンディップと三人の王子」というスリランカの民話から名づけたということです。 セレンディピティあふれる創造性を持った子どもたち。そんな子ども像がピンと思い描かれ、「セレンキッズ」と名づけて、そのような子どもを育むという願いを込めて、「セレンキッズ・プロジェクト」と改名しました。 さて、名前は壮大でしたが、毎月公民館を巡回してひらいてみたものの、何をするのかもわからない(それを考えることから始めるのが目的だったが)、怪しげな集いに来る人は、わずか自分の学校の生徒が数人集まる程度でした。 この集いで「何をしたい?」と話し合ったら、自分たちで「何か」をつくってフリーマーケットをしたいということになりました。なるほど、自分でつくって自分で売るというのは、最も身近な自己完結活動です。 この試みが「だがしや楽校」の前身の活動となったのです。そして、公民館での創造教室は、青空屋台の「だがしや楽校」の雨の日版として「てらこや楽校」と名づけた集いになりました。 創造する集い。これこそ、いつの世でも、どこでも求められるものだと思います。 ピース4「みせモデル」 学校と最も対照的な場所。それは店でしょう。店は、家や学校や公民館とは異なる開放系のモデルです。 学校は、建物の中に子どもを閉じ込めて管理し、外部からの人の出入りを遮断した中で教育します。これに対して、店は不特定多数の誰にでも開かれた空間で商品の売買がなされます。実は、この店の営みにも、学校では行えない教育的な要素が含まれていることがわかります。 めっきり少なくなってしまいましたが、昔ながらの地域の個人商店をのぞくと、店の中で買物ついでに店主と近所の常連が世間話に花を咲かせている光景が見られます。お茶飲み話が主で買物がついでといった風でもあります。 そのような店は、地域の人々を結びつける役割をしており、人づき合いのし方や人生訓から漬物のつけ方まで、いろいろな世間一般の生きる知恵を学ぶことができる生きた社会教育の場です。こここそがオープンなコミュニティセンターと言ってもいいでしょう。 それが子ども相手の店ともなれば、子どもたちはそこでどれほどたくさんのことを学ぶことがあるかは、駄菓子屋に通った経験者ならだれもがわかるはずです。しかも、 そのような店は、子どもたちが学校から帰ってくる前の日中は、近所のお母さんやお嫁さんたちの人生相談の場になっていたと聞きました。駆け込み寺ならぬ近所の「駆け込み店」または「カウンセリング・ショップ」だったのです。 かつての地域社会の商店は、駄菓子屋にしろ八百屋にしろ自転車屋にしろ、このように人と人を結びつける効用がありました。コンビニや大型スーパーの管理システムは、そのような「店」の教育作用をはぎとり合理的な売買のみに集約した別の事業といったほうがいいかもしれません。 「店」の始まりは、中世の「市」です。人々が集いモノを売り買いする「市」が定期的に開かれ、モノを並べて見せていた「見世」が常設されて「店」になったのです。つまり、「みせ」とは、他者へのディスプレイやプレゼンテーションを意味するものだと言えます。「店」の始源の姿は、現代でも見ることができます。お祭りの屋台や、路上での物売りや、市民のフリーマーケットなどです。 「店」の教育力。これを、その性格からオープン・エデュケーションと呼んでみることにします。「店」的な方法で、不特定の人々に自分の技やモノを見せる、体験してもらう、教える。これは、閉じられた学校とは対照的な学びのスタイルだと考えたのです。 店的ガッコウを「屋台楽校」と呼ぶとすると、この楽しさは「見せ方」の楽しさです。自分の技やモノを見せる。見る人の関心を引きつけなければ、自分の「みせ」には人は集まりません。引きつける努力、楽しませる努力が必要になるのです。 どこにどのように「みせ」を開いたらいいか。この店は何の店なのかという表示のしかた。商品の並べ方。売り方。体験のさせ方。価格の設定(もちろん、タダでもいい)。「みせ」ひらき体験は、最も身近で手軽なベンチャー体験になります。 この「みせ」ひらきは、単に経済の体験学習になるだけではありません。自分の趣味をひろうする場にもなりますし、学校教師や教育学部の学生にとっては、子どもを引きつける努力からしなければならない「もう一つの教育実習」にもなります。店モデルの真価は、商品の売り買いにあるのではなく、人との自由な交流の中で自分を表現することにあるのではないかと思ったのです。 日中の学校は、要するにしっかり教えればいいことで、子どもの教育にとって再考すべきは、学校的なスタイルではない「放課後の楽校」づくりではないでしょうか。 ピース5「自発的参画」 私は、これまで学校教師という職業での仕事(給料をもらう仕事)のほかに、壁画づくりを企画したり、駅に文庫を設けたりと、余暇時間に社会的な試みをしてきましたが、それらは共通して、はじめに「こんなことがあったらいいな」という着想ありきで、予算と組織については、まったく無頓着でした。 私自身が営利のためではなく、ただ一人の自発的活動者としてしていたので、他の人にも、同じように呼びかけたのです。その意味では、英語本意のボランティア(自発的に行う者)であると思っています。必要な経費はというと、自分の趣味や生きがいの延長でしているという感覚であるなら、自費でできる範囲ですることができます。 しかし、私がこれまでしてきた活動は、私一人でできるボランティアではありません。私一人で自己完結できるものはなく、いつもだれかと共同し、かつだれにも参加をひらいている活動でした。 今ふりかえれば、壁画制作などは、共同芸術やコミュニティ・アートといったものだったと思います。参画者には、異なる様々な領域の方々に声をかけて、それぞれを組み合わせた企画を展開しました。ふるさとの歴史を知る郷土史研究会と資金調達と広報を受け持つ商工会議所を組み合わせるという風にです。 このように、自発的な活動でかつ自在に参加者を集めて自己組織化していくという方法は、そのまま、老若男女、だれでも、いつでも、どこでも、手軽にひらける「だがしや楽校」を試みさせたのです。ボランティア活動としても、自分づくりとしても、コミュニティづくりとしても、全方位的な切り口をもつことができる核心は、自発的参画なのです。 ピース6「積み器」 「積み器」(ユニット・アート)とは、私が名づけたビールケースの積み木です。 「積み器」が生まれたのは、テレビ局のスタジオ内です。総合生活環境芸術創造集団をつくった私と美術教師の牧野呂蘭君に、地元放送局NHK山形の番組制作者から山形特集の番組をつくるにあたって、スタジオセットとつくってほしいという依頼を受けたのです。 条件は、できるだけ安い経費でスタジオ内のボリューム感を出せるユニークなアイディア。「野生の思考」で身近にあるものを生かした再利用アートを試みていた私は、 いくつかの日用品の活用案の中から、以前から考えていたビールケ−ル(ジュースケース)による積み重ね活用を提案しました。 ビールケースは大変丈夫でしっかり積み重ねられることを生かして、スタジオ内を大きな「レゴブロック」のような積み木遊びの空間にしようと思ったのです。ボランティア制作の学生を募って、カラフルにペイントしたビールケースとジュースケースで、観客席からテーブルから背景からオブジェ(天井からも吊るして)まで、あらゆる用途に用いて、スタジオ内を「積み器」でうめつくしたのです。 その後、この「積み器」は、歌のコンサートのステージセットにも使われたり、電気店や八百屋など商店の陳列台にも利用されました。このビールケースの一器汎用性 が、「だがしや楽校」の屋台を思いつかせたのです。近所の酒屋にあるビールケースを借りて、あとベニヤ板を用意すれば、テーブルと椅子ができて、どこでも実演・展示の青空集いをひらくことができます。 ビールケース一つの上にベニヤ板をのせると、小さな子どもは地べたにすわってその板の上のもので遊べます。ビールケース二つを重ねた上にベニヤ板をのせると、小さな子どもが立ったまま見てちょうどいい目線の台になります。 着想はモノによって現実になります。「だがしや楽校」は、「積み器」のビールケースによって生まれました。私にとって、日常生活の中に知的生産を生み出すものが美術であり、私はこれを「知的生産の美術」と呼んでいますが、「積み器」もその一つでした。 パズルの完成 ある試みが実現なった時。それは、その人の着想パズルが完成した瞬間です。 「だがしや楽校」の着想パズル。それは、私自身のそれまでの六つの体験が組み合わさった産物でした(図 )。 着想パズルは、「だがしや楽校」をどうして思いついたのか、今ふりかえって思いついたアイディアです。これは、企画を考える方法として、二つの視点で有益に活用できそうです。 まず一つは、各人の状況に応じてパズルのピースを一部変えて行えば、その人なりの企画になるということです。「だがしや楽校」も県内外各地でひらかれるようになりましたが、おもしろいことに、一つとして同じ「だがしや楽校」はありません。私が始めた「だがしや楽校」ともみな違います。ひらく人それぞれの十校十色という感じです。 その理由は、人はそれぞれ異なる状況であり、その状況がその人固有の着想ピースになるので、微妙にできるパズルが異なることになるのではないかと思います。例えば、学校教師である私は、職業から「学校の授業」というピースが出てきましたが、公民館に勤めている方や商店主の方や主婦の方は、きっとそれぞれの立場からのピースが出てくるはずです。また、土地柄という固有のピースもあります。一つのピースが変わるだけで、実現される企画の様相は変わるのです。 とすれば、まず自分の状況を要素として抽出して、他の共感するピースとを組み合わせて考える着想パズルは、個々に応じた企画づくりのノウハウになることがわかりました。 もう一つは、自分がこれから行う未来の活動のヒントも、このパズルの中のどこかのピースにあるということです。私の場合は、「創造的な集い」や「自発的参画」といったピースがいろいろな着想の場面で出てきます。きっと、何度も登場するピースは自分のライフテーマのようなものなのでしょう。 そのように考えると、自分の着想の履歴を個々に着想パズルとして記録してみることは、これからの自分の着想を予想するアイディアトレーニングになるだけでなく、自分づくりのノウハウになることがわかったのです。 あなたを生かす企画づくりのための、着想パズル・ワークショップ。受けたまわります。 |
|||||||||||
| 戻 る | |||||||||||
|
このページのコピー、配信、掲示、送信、変更、翻案等を含む他の利用は固くお断りします。
|
|||||||||||
|
だがしや楽校 On The Web
|
|||||||||||