| 松田 道雄 (中学校社会科教諭) | |||||||||||
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| (1)駄菓子屋の教育的価値 子ども世界の入口 『ガリヴァー旅行記』では、ガリヴァーは小人の国「リリパット」に行きますが、残念ながら、大きさの違いゆえに、小人たちの本当の暮らしを知ることはできませんでした。では、私たち大人は、本当に子どものことを知っているでしょうか? ことの始まりは、中学校の社会科教師である私が、今から九年前、山形大学教育学部附属中学校に勤めていた時に社会人大学院生(山形大学院教育学研究科)になって駄菓子屋を研究テーマにしたことからです。 はじめから駄菓子屋に関心があったわけではなく、何気ない子どもの会話から、学校の対抗文化としての可能性を思いついたのです。 駄菓子屋とは、小さな子どもを相手に駄菓子や安価な玩具などを売る店です。私が子どもの頃には近所いたるところにあり、放課後の遊びの基地(プラットホーム)のような場所でしたが、まさか、現代の子どもたちから駄菓子屋ということばが出るとは思ってもいませんでした。 それは、学校の外の領野での研究テーマを模索していた時、子どもたちに「子どもが集まる場所って、ある?」と尋ねたところ(きっと、今はすべて室内でのテレビゲームだろうから、集まる場所なんてないだろうと思い、確かめるつもりで尋ねたのでした)、ほとんどきょとんとして返答につまるような反応でした。もはや、「集まる・集う」ということばすら、どのようなことなのか経験ないのだろうか、とすら思いました。 しかし、それらに混じって「駄菓子屋に行く」と答えた子がいたのです。 「駄菓子屋なんて知ってるの?」と逆に聞き返すと、何と、多くの子どもたちが駄菓子屋を知っていたのです。 「へえ、駄菓子屋なんて、まだ、あるのかあ」 駄菓子屋研究は、ここから始まりました。 子どもたちに知っている駄菓子屋を聞いて、そこを訪ね、そこにいる子どもに聞いて、さらに別の駄菓子屋を訪ねる、…といったことを繰り返して行きました。同じ地域に住みながら、気づかなかったのは、それが大人世界とは異なる子ども世界の店だったからでしょう。 二〇世紀はじめのドイツの生物学者ヤーコプ・フォン・ユクスキュルは、同じ場所に生きていても、ハチはハチが見る世界に、チョウはチョウが見る世界にそれぞれ生きているという環境世界論を唱えましたが(『生物から見た世界』日高敏隆、野田保之訳/思索社、一九八〇)、人間の社会でも、子どもの世界はクルマのスピードで動く大人世界からは見えない世界だったように思います。駄菓子屋は、子どもの目線に立って足で歩いてはじめて気づいたのです。 しかし、今回再発見した駄菓子屋の多くは、私たちの世代がかつて通ったような駄菓子屋でもありませんでした。子どもが教えてくれた店に行ってみると、そこは八百屋だったり、何と小鳥を売っている店だったりしたのです。 小鳥屋が駄菓子屋!? 店内で主として売っているのは小鳥なので店の看板も「小鳥屋」ですが、その店内の片隅に置かれている駄菓子を買いにくる子どもたちにとっては、その店は駄菓子屋だったのです。 子どもたちが駄菓子屋と呼んでいた店は、駄菓子が置いてあるからだけではありません。小鳥屋であっても八百屋であっても、商品の一隅の駄菓子を買いにきてくれる子どもを、ちゃんと一人前の客として相手し、しかも、子どもの話に耳を傾け、子どもと世間話をしてくれる店を、子どもたちは「自分たちの店」という親愛の情を込めて駄菓子屋と呼んでいるようでした。 実際、小鳥屋を教えてくれたのは、ピアスをした茶髪の中学生で、小鳥屋のおばあちゃんは、彼の話もちゃんと聞いてくれて信頼を得ていたようでした。その店は、子どもたちにとって、街中のカウンセラーの役割をはたしていたのです。かつての駄菓子屋には、そのような子どもたちの心のつなぎや安らぎや接着作用、今で言うカウンセリング的な機能も持っていたと思います。それがいたるところにあったことで、地域の生活力や社会力というのが成立していたのでしょう。 こうして、大人になって駄菓子屋の入口を再び入り、駄菓子屋を中心にしたかつての子どもたちの外遊びでの学びの総体を「駄菓子屋楽校」と名づけて調べた成果は、『駄菓子屋楽校−小さな店の大きな話・子どもがひらく未来学』(新評論、二〇〇二)としてまとめました。 そこでは、駄菓子屋が持っていた教育的価値を明らかにして、それらは、いずれも学校教育やテレビゲームでは得にくいものであり、駄菓子屋の喪失はつまり、これらの価値の喪失であり、それらを現代社会に新たに再生する試みが必要だと提案したのです。 こうして、駄菓子屋研究は始まりました。その結果、聞き取りと文献調査を組み合わせて、私は駄菓子屋の価値を八つにまとめてみました。それらを要約すると、次のようになります。それらは、心をほっとさせる癒しの効用と、わくわく活性化させるアニマシオンの効用がアンビバレント(両義的)に混在しているものでした。 価値1「環境をつくる」(子ども世界の遊牧民) 駄菓子屋は、子どもたちの外遊びのキーステーションでした。 それはちょうど、疲れを癒し、のどを潤し、人と交易する遊牧民のオアシスのようなものだったように思えます。子どもたちは駄菓子屋を拠点にして、実際に大人が生活している社会空間の中で、「子ども道」を通って、路地裏や原っぱで遊びまわり、「秘密の基地」をつくって、独自の子どもの環境世界(チルドレンズ・コミュニティ)をつくりあげていたのです。トム・ソーヤやハリー・ポッターのような冒険を、実際に ダガシヤ・チルドレンは近所で体験していたのです。子どもが大人社会の中で遊ぶことができたのは、大人も子どもに寛容だったと言うこともできます。 そのような子ども世界の玄関口である駄菓子屋の中に入ると、その中にはもう一つの世界があります。色とりどりのたくさんの駄菓子や駄玩具や当てくじが、上から吊るされ、壁にかけられ、下にも並べられて、まるでマンダラ世界に入りこんだような環境体験をするのです。この内外二重の環境体験は、今ではバーチャルなゲームの中に閉じ込められてしまっています。 価値2「選ぶ・買う・分ける」(豊かな少費者と分け合う仲間) 駄菓子屋での買い物は、子どもたちの経済生活の始まりでした。 実にたくさんの中から迷いながらもじっくり選ぶという選択力は、人生における最も重要な能力の一つです。それを育ませてくれたのが店主のおばあちゃんであり、初めてお金を握りしめて来た子どもに、買い物のマナーと計算のしかたを教えてくれたのが「子どもみせ」としての本分です。 駄菓子屋にはたいてい友だちと行きます。そして、お互いに買ったものを分けっこして食べ合います。「ともに分け合う」という分配と交換行動は経済活動の原型であり、「ともに食べ合う」ことは社会集団づくりの原型です。「仲間」を意味する英語の「コンパニオン」は「同じ鍋をともに食べ合う」というラテン語に由来し、日本でも「同じ釜の飯を食った仲」という言い方があります。駄菓子の分けっこは、経済生活と仲間づくり(社会生活)の基礎学習であり、ダガシヤ・チルドレンは、それを毎日、一銭や十円で反復学習していたのです。 価値3「食べて遊ぶ・作って遊ぶ・試して遊ぶ」(チープ・アンド・トライのダガシヤ・ ベンチャー) 駄菓子屋には実に多種多様な知的好奇心を喚起する遊びのしかけがありました。 駄菓子自体も「食玩」と呼ばれたように、食べて遊ぶ要素にあふれていました。安い中にもワクワクしたり驚きやときめきといった心の躍動があるからこそ、友だちと楽しく食べ合うこともできたのです。ヨーロッパではこのようなワクワク感を「アニマシオン」と呼んでいるそうです。 そのような駄菓子屋は、触って遊ぶ(ハンズオン)ことができる「小さなチルドレンズ・ミュージアム」のようなところであり、そこで遊ぶダガシヤ・チルドレンは、文化人類学者レヴィ・ストロ−スのことばで言えば、「野生の思考」を持った小さな「器用仕事人」(ブリコロール)だったと言うことができるでしょう。 駄玩具は、安い分、手を加えて遊ぶ要素がたくさんあり、お粗末だからこそ、遊んでは壊し、壊しては買って…、というような「チープ・アンド・トライ」の試行錯誤的な遊びができたのです。科学の発見はたくさんの失敗体験から生まれるように、食べて遊び、作って遊び、試して遊ぶ駄菓子屋遊びもまた、創造的な学びの場であったのです。 価値4「当たる・賭ける・集める」(遊びの百科全書家) 駄菓子屋は、別名「当てくじ屋」とも呼ばれていました。「駄菓子屋の中ではみんな平等」という話を聞きますが、当てくじの魅力は、誰もが運のもとに平等であるということです。 これに対して、駄菓子屋遊びの代表であるメンコやベーゴマは、自分の腕と技能に賭けて勝負する遊びでしたが、技量で勝ち負けを競い合った後の当てくじは、技量による優越関係を再びなくして、仲間関係を円滑にするために必要な儀式のような役割をはたしていました。大人の競争社会における宝くじやパチンコも同じような機能があるのでしょう。しかし、今の子どもには、自分の人生まで賭ける受験という大きな賭け事に対して、それを和らげる手立てがないのです。 賭けたり当てたりしながら、子どもたちはいろいろなものを集めます。石ころ集めから始まる「集める」行為は、学問や文化の始まりです。「おまけ」や「付録」もまた、集め心をくすぐるものでした。大人は「おまけ付きはむだ」と言いますが、「おまけ」こそ心の豊かさを満たすものであり、駄菓子屋は、たくさんの付加価値要素が「おまけ」されていた店だったのです。 価値5「群れて遊ぶ」(子どもの民主主義) 今と昔の子どもたちの遊びで一番違う点は、群れ遊びの有無でしょう。 かつての子どもたちは外で群れ遊びの中で社会生活を学んできました。ガキ大将を中心としながら、様々な異年齢の子どもたちがいっしょに遊び、幼い子も「あぶらしっこ」(ここ山形の方言)として、ルールを特別免除されながら遊びに混ぜていたのです。それは、年上の子どもが年下の子どもの世話をしながら遊ばなければならなかった子ども社会の生活の知恵でしたが、まるで福祉社会の「インクルージョン」(包含という英語)の考えを先取りしていたような感じです。 子どもの群れ遊びと学校のスポーツクラブは違います。スポーツは始めからルールが決められ、学校は大人の民主主義をまねる場として、どちらも大人に管理されています。一方の群れ遊びは、子どもどうしでルールから状況に合うように決めて遊んでいたのです。このような子ども自治体としての群れ遊びでの群れ学びこそ、「民主主義の楽校」だったと言えます。 遊び仲間を募り、遊び疲れたら一休憩することができた駄菓子屋は、群れ遊びを誘発する拠点となっていたのです。 価値6「とる・悪さをする」(共有社会の道徳学習) 駄菓子屋には「万引き」の話が多く出ます。駄菓子屋以前は「柿どろぼう」の話です。「柿どろぼう」が活躍した時代には、身の回りにたくさんの「トル」ものがありました。木の実トリ、虫トリ、魚トリ…。それら自然の恩物に恵まれていた共有社会でした。 幼い子どもを観察すると、身のまわりのものを自由にトリます。その子にとっては身のまわりは自分の世界です。自他の区別はその後、親や周囲の大人から社会の道徳として教えられていくのです。駄菓子屋は実社会の中にある子ども世界の拠点として、社会の現場で再び駄菓子屋店主から道徳も教えてもらうことができたのです。 「トル」自由にあふれた共有体験と、実社会でのあたたかくゆるやかな道徳体験こそ、子ども世界から大人世界への自然な移行を保障するものだったのではないでしょうか。 価値7「癒す/癒される」(老若互恵関係) 駄菓子屋の店主の話からの最も感動的な発見は、どのおばあちゃんも齢のわりに若々しく、その秘訣は店に来る子どもから元気をもらっているということです。 子どもたちは、駄菓子屋のおばあちゃんに接することで、ほっとしたり心がなごんだりしますが、一方で、店主のおばあちゃんも子どもから恩恵を受けている「癒し/癒される」互恵関係をつくっていたと言うことができます。 芸術家の赤瀬川原平氏は老人らしさを「老人力」と肯定的に表現しましたが、老人が子どもに与えていた安らぎも「老人力」と呼ぶなら、子どもが老人に与えていた生気は「子ども力」と言うことができます。 かつての四世代・三世代社会では、老人は次世代に生活の知恵を伝える「社会的おばあ、社会的おじい」としての役割をはたし、老人と子どもは結びついていましたが、 近代の核家族社会では、子どもは学校、老人は老人ホームにそれぞれ隔離され、世代が断絶されてしまっています。 わずかに駄菓子屋で見られる老人と子どもの交流は、これからの少子高齢社会における老若共同のモデルになります。 価値8「なつかしむ」(ふりかえり学習) 駄菓子屋では、かつて駄菓子屋に通っていた子どもが親になって、今度は自分の子どもを連れてきて、「なつかしいなあ、お父さんは小さい頃よくこの店にきて〜したんだ」と我が子に語るという話をよく聞きます。世代から世代へ伝えることは教育の核心ですが、駄菓子屋にもその機能があります。なつかしむことは世代へ伝える動機づけになるとともに、また明日を生きる自身の心の癒しになります。 「なつかしいなあ、〜」と我が子に語る時、我が子は自分の子ども時代の分身になるような感じになるのです。自分をふりかえる自省(リフレクション)は、自分を成長させる自己教育力そのものです。 学校+駄菓子屋のバイラーニング 年々なくなりつつある駄菓子屋を調べてわかったことは、駄菓子屋は子ども世界と子ども(社会的弱者)が共生できる世界を象徴する場所であり、そこには、学校での教育では行いえない多様な滋養物があったということです。 かつて、子どもたちが外で遊びまわっていた時代には、「よく学び、よく遊べ」ということばがありました。それは、遊びには教室での勉強にはない学びの価値があるゆえに、勉強とともに遊びもしなければならない、ということを語っていました。この駄菓子屋研究で明らかにすることができたのは、この遊びにあった学びの価値だったのです。 脳科学では、知能は多重な構造によって成り立っているという理論が定着しています(ハワード・ガードナー/松村暢隆訳『MI:個性を生かす多重知能の理論』新曜社、ニ〇〇一)。学校の各教科に分かれている学習は、その理論からも知能の発達に適していると言われています。 学校とともに放課後に駄菓子屋楽校で学んでいた子どもたちは、学校での多重的学習に加えて、また別の多重学習をすることができたのです。それは、すべてが人生に不可欠な「生きた総合楽習」と言えるような内容です。ためしに、それぞれの価値から職業のモデルを想像してみたのが図 です。 オランダの歴史家ヨハン・ホイジンガは、遊びにおける文化的意義を考察して「ホモ・ルーデンス」(遊戯人)という人間観を示しましたが(『ホモ・ルーデンス−人類文化と遊戯』高橋英夫訳/中央公論社、一九八一)、ダガシヤ・チルドレンは、まさ に「ホモ・ルーデンス」の子どもたちでした。 アメリカのコラミスト、ロバート・フルガムの『人生に必要な知恵はすべて幼稚園の砂場で学んだ』(池央耿訳、河出書房新社、一九九五)風に言えば、「ホモ・ルーデンスの子どもたちは、人生に本当に必要な知恵はすべて駄菓子屋で学んだ」となりそうです。駄菓子屋での学びは、現代のデジタル・チルドレンにも(というより、こそ)、必要だと思いませんか? 子ども期に二カ国語を話すことができること(バイリングアル)は知能の発達にいいそうですが、二種類の「がっこう」で学ぶ「バイラーニング」もまた、学校だけで学ぶことよりも格段に知能の発達を高めるのではないかと推論できます。 学校と駄菓子屋楽校との学びの相関を描いてみたのが、図 です。ぜひ、脳科学者の方には、「学校+駄菓子屋」の二元多重知性について検証していただきたいと思います。 文明思想家イヴァン・イリイチは、お母さんの家事など、産業社会の影に隠れて見えなくなってしまった、本当は産業社会を支えている仕事を「シャドウ・ワーク」と呼びました(『シャドウ・ワーク』玉野井芳郎、栗原彬訳/岩波書店、一九九八)。教育という営みを学校の独占から離してみた場合、これまで学校制度の影に隠れて大人には見えなかった駄菓子屋という「放課後のシャドウ・スクール」をモデルにした教育実践を学校教師が行ってみることは、社会的に意義のあることではないかと直感的に思ったのです。 もっと広く言えば、高度経済成長期以降、高学歴・高文化・高度科学技術と、果てしなく高みをめざしている現代社会人が忘れているものが、「駄」と見下してきた駄菓子屋の中に隠されているのではないかと思ったのです。 放課後のプレイステーション革命 歴史を学ぶことは、構想のヒントを着想し、活動に深い意義づけを与えます。 駄菓子屋の研究も、聞き取り調査と並行しながら、駄菓子屋の歴史と起源を文献で探ることから始めました。 百科事典の「駄菓子屋」の解説には、江戸の町にあった番小屋が起源を書かれています。町の治安を守るために設置されていた辻の番小屋の番人(番太郎)が、副業として番小屋の前に縁台を置いて日用雑貨品といっしょに駄菓子を売ったのが始まりとあります。 番小屋は明治になって交番制になるので、駄菓子屋の始まりを今風に言えば、おまわりさんが交番で駄菓子を売っている、というようなものだったのでしょうか。この歴史的事実は、治安と子どもと商売は一体のものであることを示唆しており、まさに今の日本にトピックの問題提起です、子どもたちを守るために、街中に交番を増やして、交番に日用雑貨や駄菓子コーナーを設ける案を真剣に考えてもいいような感じです。 今は、まちの辻々はコンビニが占領しています。辻はかつて番小屋が置かれていたことを考えても、交通の要であるゆえに公共的な場所であったと言えます。そう考えると、コンビニにも一層公共的要素を盛り込んで、コンビニ銀行だけでなく、コンビニ交番(コーバン)やコンビニ学校(スクール)やコンビニ病院(ホスピタル)といったものを設けることも検討の余地がありそうです。 江戸の子どもたちは、午前中はボランタリー(自発的)に開かれていた近所の寺子屋で「読み・書き・そろばん」を学び、午後からは「番太郎みせ」で駄菓子を買って、町の中を遊びまわっていたのでしょうか? 明治になると、子どもたちは寺子屋の代わりに国の制度である学校に通うように義務づけられていきます。アットホームな学び屋から大きな集団訓練の校舎になったのです。 一方、「番太郎みせ」は日用雑貨屋となり、そこから子どものものだけを置く「子どもみせ」も出てきます。何と!明治半ばの女流作家、樋口一葉も駄菓子屋を開いていたのです。その経験が『たけくらべ』に反映されています。「一葉の店」を調べた加藤理氏の『駄菓子屋・読み物と子どもの近代』(青弓社、二〇〇〇年)によれば、日用雑貨屋として開いた「一葉の店」が、次第に子どもたちが主たる客となる「子どもみせ」になっていったことを仕入帳から明らかにしています(一葉は、子どもが握りしめる一〇円玉や一〇〇円玉に描かれたほうが似合っているかもしれません。) やがて、駄菓子屋という「子どもみせ」には、「路地裏のばあちゃんみせ」という形容が定着して、昭和ニ〇年代の戦後ベビーブーム後をピークにして子どもたちの外遊びに欠かせないキーステーションとなりました。 遊び友だちと待ち合わせをし、遊び道具の必須アイテムが揃っていて、遊び疲れたら一休みし、安くて楽しい駄菓子がたくさんあり、店主のおばあちゃんにほっとして、…そんな条件がすべて満たされていたのが駄菓子屋だったのです。 子どもに「読み・書き・そろばん」を教えた江戸の寺子屋が主に、おじいさんなどの男性の仕事であったのに対して、駄菓子屋は子どもの世話をする仕事として、おもに、お母さんやおばあさんの女性の商いでした。子どもにとって、駄菓子屋は「社会的な母」としての安心基地であったということができます。 駄菓子屋の立地条件は、子ども人口によって決まります。子ども人口が少ない農村では、一軒の万屋が店のすべてをまかない、子どもだけの店はありません。しかも、子どもたちは遊んでばかりはいられず、農作業の手伝いをしなければなりませんでした。そのような村の子どもにとっての一番の楽しみは、縁日のお祭りの屋台でした。町の子どもたちにとって「ケ」の駄菓子屋は、村の子どもたちには「ハレ」のお祭りでした。 駄菓子屋は、戦後の子だくさん期には、「いたるところ」(ユビキタス)にできました。どの子どもたちも自分の足で歩いて行ける近所に遊びの拠点がありました。親がクルマで送迎するのではなく、自分の足で歩いていけることこそ、子どもの自立した社会活動の第一条件です。 チルドレンズ・ミュージアムでは、手で触れることができることを「ハンズオン」と言いますが、それに習って、自分の足で歩いていけることを「フットオン」と名づけてみることにします。「子どもみせ」が学校以上に「いたるところ」にあったというのは、何と、ユビキタスティック!なことだったでしょう。 子どもが集まるところには、飴売り、紙芝居屋、型屋、バクダン屋といった子どもたちの知的好奇心をワクワクさせるいろいろな「物売り」のおじさんが現れました。ヨーロッパでは、子どもたちを楽しませてくれる社会教育のリーダーを「アニメーター」と呼んでいますが、かつてのわが国の楽しい物売りおじさん(おじいさん)は、まさに「ストリート・アニメーター」(路上の教師)のような存在だったと言うことができます。「おじいさんは物売りに、おばあさんは駄菓子屋を」という風に、たくさんの大人たちの社会的な父性・母性に見守られながら、子どもたちは遊び育ってきたのです。 駄菓子屋は、たいてい神社や公園など、子どもたちの遊びのホームグランドの近くにありました。学校の校門そばには駄菓子屋と文房具店が合体したような「がっこみせ」(学校みせ)もありました。日中は学校で学び、放課後は駄菓子屋を拠点に遊ぶ。この「学校−駄菓子屋」時代は、江戸後期の「寺子屋−番太郎みせ」時代からついこの間まで、一五〇年以上もずっと続いてきたのです。もう一つの「遊び場」(プレイステーション)が現れるまで…。 大きな歴史の流れからみれば、駄菓子屋の消滅(つまり子どもたちの外遊びの消滅)と、電子ゲームの登場はちょうどシンクロナイズしています。一九八三(昭和五八)年に登場した任天堂の「ファミコン」を皮切りに、一九ハ九(昭和六四)年の任天堂の「ゲームボーイ」、一九九四(平成六)年のソニーの「プレイステーション」と、子どもたち(男子)の「遊び場」はまたたくまにバーチャルなゲーム空間に変わってしまったのです。それはちょうど、都市化による遊び空間の消滅と、受験勉強による遊び時間の消滅とも同調していました。 こうして、群れ遊びに興じていたダガシヤ・チルドレンは、「ゲームボーイズ」(ゲームに興じる男の子)と「ケータイガールズ」(街中でケータイに没入する女の子)といったデジタル・チルドレンに変わっていったのです。 実は、子どもの変化の影に隠れて高齢者にも大きな変化がおこったのもこの時期です。高齢者優遇政策と学歴社会と消費生活の人生の終点として、年功報酬と豊かな年金を手にした高齢者が、我が世の春を謳歌しているかのごとく、いたるところの観光地やコンサートなどは高齢者だらけになったのです。 かつて、漬物をつけ、我が家の味を守り、おすそ分けをし、家まわりを修繕し、孫の世話をし、近所つきあいを大切にし、伝える知恵と技をたくさん持って人に与えた「漬物ばあさん、修繕じいさん」から、自分の楽しみのために消費することを生きがいにして、次の世代に何も伝えられない「カルチャーばあさん、トラベルじいさん」という利己的な高齢者へと変貌したように思えます。 不思議なことに、このあたりの時期から、学級崩壊、いじめ、不登校、幼児虐待、ムカツク・キレル子ども、少年犯罪、若者のアパシー(無気力)、ヒキコモリ(アメリカの週刊誌『タイム』でも取り上げられた)、フリーター、ニート(無業者)、ニ〇代無職者の犯罪、子ども連れ去りといった、子どもや若者や家庭のさまざまな問題が噴出してきたのです。 子どもの生活史からみれば、一九八〇年前後(平成前後)の子どもたちの異変の温床は、学校ではなく放課後の子どもたちの生活環境にありそうです。「学校−駄菓子屋」から「学校−ゲーム」へ。放課後のプレイステーション(遊び場)革命が、子ども世界のパラダイムシフトだったと言えるでしょう。 |
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